三嶋 淳司さん

取り組んでいた競技 : 駅伝

入社年度 : 2018年新卒入社

所属部署 : コンサルティングセールス本部

―――ご自身が行っていた競技、現役期間について教えて下さい。

私が行っていた競技は長距離走、駅伝です。現役期間は中学から大学です。

―――箱根駅伝を意識始めたのはいつですか?

高校入試の時にはいずれ箱根駅伝に出たいと思い、大学の監督からの指導も受けられる駒澤大学付属高校に入学を決めました。ですが高校1年生の夏にアキレス腱が切れる寸前の怪我をし、完治までほぼ一年間何もできませんでした。その後の東京都大会で、ベスト選手になりましたが、大学からのスカウトは来ませんでした。ですが私は駒澤大学の付属校だったので、駒澤大学へ入学できました。また、駒澤大学の駅伝部は毎年10人しか採用しないのですが、こちらは付属校のつながりで、10人の枠に追加して駅伝部にも入部することができました。

―――ということは駒大駅伝部では苦労しましたか?

はい。大変な苦労でした。私はスポーツ推薦という形で駒澤大学駅伝部に入部したわけではなく、言い方は悪いですが「コネ」で入部したようなものです。ほかのチームメンバーとは実力差が歴然とありました。同期の一年生の中で5000m走をすると半数以上が14分台前半で、私は15分27秒ダントツでビリ。私の一つ前の順位でも14分40秒で、15分台は私だけです。同期、先輩を含め周りから「三嶋は駅伝部に不要」と言われたこともあります。

―――箱根駅伝出場のために、どのような計画を立てたのでしょうか?

4年計画を立てました。まず監督から言われたトレーニングで自分なりに違和感があっても、自己主張はせず、必ずそのトレーニングの中で監督が認める結果を出すことで、まずは監督に認められることを目指しました。そして、4年生の箱根のレギュラー枠は4人なので、同期5人に勝てばいいのです。5000m走でいうと、14分台前半です。

―――箱根駅伝の後の目標はありましたか?

大学で駅伝に打ち込んだら、卒業後は競技を引退しようと思いました。駒大駅伝部には才能に溢れ、努力も完璧にできる選手が同期にもいたからです。卒業後は社会人としてガンガン働こうと思っていました。

―――学生の頃の練習はどんなものだったのですか?

練習では1日合計30キロを走ります。平日一日のメニューとしては、朝6時に集団で12キロ練習、日中は大学の授業を受け、水・土曜グループ別のポイント練習(※心肺機能、脚力の強化を目的とした負荷の高い練習)以外は、自主練習をします。一年生時は最も遅いグループでのポイント練習についていくのですら厳しい状態でした。

―――最もきつかった練習を教えて下さい。

3週間の長野県での夏合宿のときが一番きつかったです。精神的、肉体的に追い込まれます。合宿所は食事を出してくれますが、先輩の衣類の洗濯、掃除は後輩の仕事です。しかも、非常に厳しい先輩後輩の上下関係で、疲れていても一秒たりとも気は抜けません。気を抜けば、先輩からの厳しい指導が待っています。

練習内容は過酷を極めます。1日60キロの練習をします。私は事前の練習が不十分だった部分もあり、一年時は練習中、救急車で運ばれました。

―――その中で、他の人より努力・工夫した点を教えてください

練習量も上げましたが、質の改善も行いました。自己改善ノートです。中学から自己改善ノートをつけており、徹底した自己分析・改善策検討と、改善策の実践です。非常に厳しいポイント練習で精神的に追い込まれたとしても、課題を解消させました。走行中に足が攣っても、一瞬で問題を把握し、別の筋肉で全力疾走できるフォームを発見できたほど、私の勘の精度が高くなりました。

―――4年間の努力の結果はどうなったのでしょうか?

毎年、タイムは向上していきましたが、結局、箱根駅伝には出ることはできませんでした。ですが、3、4年生時に14分10秒~20秒という結果で自身のタイム上の目標は達成しました。

―――就職活動をされたと思いますが、いつから始め、会社は何を重視しましたか?その中でメイクスを選んだ理由を教えて下さい。

就職活動は3年冬くらいに開始し、重視していることは特にありませんでした。大手企業も含め3~4社面接を受け、私がスポーツ推薦でなく、駒大駅伝部に入部し、3年続けた経験を話すと、全社から内定をいただけました。ただ、イマイチピンとはきませんでした。

ある合同企業説明会で企業ブースの一つに異様にキラキラした男性がいて、その男性と立ち話がいつの間にか始まり、私が駒大駅伝部出身と言ったら、その男性もトライアスロンをやっていると話が非常に盛り上がりました。説明会が始まると、その男性が「社長の仲村です」と話し始めてびっくりしました。気さくだし、社長なのに前線で働いて腰も低いと、感動しました。

会社説明を聞いていると、上限なしの成果報酬という部分に惹かれました。大手企業で成果を出しても報酬は多くは出ません。私は今まで、目が開いている時間すべてをタイム向上に掛けてきました。ですが、駅伝は、怪我やピーク調整不備で結果が出ないこともあり、練習量と結果が必ずしも反映されません。一方で、営業の仕事はやった分だけ成果に反映されると感じました。タイム向上に命をかける習慣があれば、営業という仕事で大きな結果が生まれると確信し、メイクスの営業職として働くことを決意しました。

―――入社してみてメイクスの仕事環境をどう思いましたか?

営業個人の裁量が非常に大きく、非常に働きやすい環境と感じました。上司は営業に関わることであれば、交際費・経費はもちろん若干変な営業先への訪問でも、承認してくださいました。

―――営業の仕事をしていて、駒大駅伝部の経験は役に立ちましたか?

はい。大変役に立ちました。集客のために、かつて街でローラー営業をしていましたが、話しかけたサラリーマンの方から胸ぐら掴まれてもとくに何も感じませんでした。駒大駅伝部の練習や上下関係と比べたら、どんな仕事も私には大したことが無いからです。

お客様と商談になった時、自己紹介の中で「駒大駅伝部」の経験をすると、非常に盛り上がります。駒大駅伝部ブランドで、話が盛り上がらないお客様はいらっしゃいません。

そして、営業活動の中でも早い自己成長が実現できています。かつて改善ノートをつけ、目を開けている最中はすべてタイム向上を考えていた習慣を営業でも続けたおかげで、営業でも悪い癖を早く直すことができました。今までの上司全員から成長・改善スピードが非常に速いと評価いただきました。

―――人生で何度も「駒澤」に助けられていますね。

はい。駒澤大学高等学校、駒澤大学、駒大駅伝部には感謝しかありません。

―――三嶋さんは営業成績上位にいつもいらっしゃいます。三嶋さんの営業力の源泉は何でしょうか?

圧倒的な承認欲求です。駒大駅伝部で「駅伝部には不要」と言われた反動で私は本気で人から必要とされたいと思っています。不動産投資という世間的には非常にマイナーな投資分野の中で、お客様が大切なご友人・同僚の方を紹介してくださるというのは、私を信頼してくださっているからです。本当にこの仕事が楽しくてしょうがありません。

―――今どんなことを挑戦しようとしていますか?

私個人だと、今年は年間50件を達成できると予測しています。次の期は、年間100件、会社の売上の10%を売ることを目標としています。更にその次の期は、売れるスキームを後輩たちに教えていきたいです。そして、メイクスを不動産投資会社で一位にしていきたいです。

―――陸上競技部に選手兼社員として入社する方に一言をお願いします。

個人的には、駅伝部出身が一番、不動産営業という仕事に向いていると思っています。営業は、駅伝とは違って、やればやるほど結果に直結します。さらにメイクスは成果報酬であり、これほどまでに自己実現を追求できるのはメイクスだけと感じています。メイクス陸上競技部に入部する皆さんは引退したとしても、素晴らしい結果を出せることは間違いありません。共に働き、メイクスを一緒に大きくしていきましょう!

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