三日月 祐亮さん

取り組んでいた競技 : 中長距離

入社年度 : 2014年新卒入社

所属部署 : コンサルティングセールス本部

―――ご自身が行っていた競技、現役期間について教えて下さい

私が行っていた競技は主に3000m障害、5000m、駅伝です。現役期間は小4~大学2年生となります。

―――現役生活で一番大変だったのはいつですか? 

高校生が肉体的、精神的に一番大変でした。高校では駅伝、トラック競技を選択していました。平日は30キロの距離を毎日(朝、夕方)走るものでした。寮生活ですので、みんな一斉に朝7時に起床し、朝食の後、朝練10キロ、学校の授業、20キロの練習となります。

伝統ある高校の部活動だったため、先輩後輩の上下関係が非常に厳しく、先輩から指導が多く行われる状況でした。練習中を含め、寮生活の中でも一秒でも気を抜くことはできません。例えば、練習の途中で、「もうダメだ」「諦めたほうがいいかも」など心の中で思うと走り・表情に出てしまいます。そんな一瞬の変化を先輩は察知します。よく分かるなと若干感心しましたが、一日中一緒にいると分かる事が増えてくることが多いです。

おかげで、全力で取り組み諦めない精神が鍛えられました。また、自身も後輩ができたときには、なんとなくの雰囲気で相手の心情を察知できるようになりました。

―――自身の成長のためにどのような工夫をされましたか? 

私の学校では、陸上競技は練習の量を増やすことで成長するという考えがありました。そのため、私は他のライバルより長い距離を走り、少しでも勝利に近づくために練習をしました。夏合宿のときは更に競争は激化し、標準走行距離が1日60キロの距離にも関わらず、1日70キロや80キロになることもありました。それでも自分の成長のために、長い距離を走り、自身を鍛え上げました。

―――高校生活の競技結果はどのようなものだったのでしょうか? 

高校での結果は、京都府の大会で3000m障害1位、近畿インターハイ出場という結果でした。私の中では、競技についてはやりきった感がありました。将来は実業団ではなく、会社で働くことに決めていました。大学2年までは陸上部に所属し、その後は必要な社会経験を積もうと思っていました。

―――大学時代にどのようなアルバイトをされたのでしょうか? 

アルバイトを何個かやりましたが、どうせやるなら厳しい世界にチャレンジしてみたかったので、成果報酬型(フルコミッション)のアルバイトをやろうと思いました。街の居酒屋でバイトをしている時期に、フルコミッション型の呼び込み営業をやっている人がいるという話を聞いて、大阪の街で自ら探し出しました。 その方にアルバイト面接をセッティングしてもらい、フルコミッションの営業を始めました。

フルコミッションの仕事は本当に楽しかったです。たしかに街での呼び込み営業でひどい言葉を掛けられることもありますが、過去の陸上部の寮での経験からすれば大したことはありません。私は全力で呼び込み営業をかけ、毎月150組~400組くらいのお客様のご案内に成功しました。その会社で、私は呼び込み営業をしている1年半、常に50人中1位でした。会社ではトップですごいと言われるのが嬉しくて、成果報酬型の仕事の虜になりました。

―――就職活動をされたと思いますが、会社選択では何を重視しましたか?

これまでよりチャレンジをしたかったので、フルコミッションの営業仕事で一番単価が高く、最も売りづらい商品を扱いたいと思っていました。そのような業界を想像したら不動産業界を思いつきました。

メイクスの会社説明会に行った所、当時の説明会には社長も参加しており、社長とも話をしたところ、波長が合いました。

他社は成果報酬とはいえある程度の上限があったものの、メイクスは完全実力主義の上限なしフルコミッションという点も惹かれ、メイクスに決めました。 

―――メイクスの初年度はいかがでしたか? 

当時担当したのは新規開拓営業で、12ヶ月間成約が出ませんでした。もちろん定時はありましたが、私としてはとにかく成約を一つでも出したかったので、自主的に多くの時間を使い営業活動していました。なんとかアポが取れても成約は出ないのが苦しかったです。

―――ご自身は会社を辞めたいとは思いませんでしたか?

全く思いませんでした。先輩方から「逃げたな」と思われたくありませんでしたし、何より売れていない自分を絶対に許すことはできません。 

―――転機は何だったのですか? 

私が2年目のときから、単に名刺をもらった人に営業をかけるのではなく、名刺交換を発端に多くの方々をたどって、紹介をもらう営業形式に変わりました。特に保険営業の方に自身のお客様を紹介すると、頂けるアポの数も多くなり、成約確度が高いと思えるお客様に会えるようになりました。私のお客様になってくださった方には多くの時間をかけ、一回の面談満足度を向上させました。これらの活動により2年目の初月で初成約を取ることができました。その後の9ヶ月間で17成約を勝ち取り、同期ではトップ成績でした。 

―――そのような努力の結果はどうなったのでしょうか?

プレイヤーとしての成績で最高成約数は30件/年でした。当時入社3年目、メイクスで2位という成績でした。すでに当時、管理職として5人位の後輩を教えながら自分でも営業活動を行っていました。その後、26歳で部長職に就くことができました。

―――管理職としてメイクスの仕事環境をどのようにしていこうと心がけていますか?

部下の主体性をメインに据え、やりたいことを引き出すことを心がけています。私もこれまで多くの裁量をもたせてもらい、自分の発案で行動し、成長してきました。私の部下にも多くの裁量を与え、もし環境や制度的な問題からできない場合は、「どうすればできるのか?」と問いかけ、部下と納得するまで話し合い、合意した案で実行してもらいます。 

厳しくする時は厳しく成果を求め、フォローはなるべく心がけています。物件価格も他業界の商品と違って段違いに高いわけですし、緩く仕事をして成果が出る業界ではありません。本当に結果が出ない後輩には、営業同行して本人の問題を洗うこともやりました。 

 しかし後輩が落ち込んでいるタイミングは、ほとんどわかります。落ち込んでいるときに、コミュニケーションを手厚くします。時には飲みへ連れて行ったりします。この努力で私の部署の離職率は通常より低い状態にしました。 

―――大変素敵な時計ですね。 

ありがとうございます。私の誕生日に部下・後輩がお金を出し合って買ってくれたものです。今の私にとって一番の宝物です。 

―――スポーツ経験は仕事ではどのように役に立ちましたか? 

陸上を通じて鍛えられた諦めない心により営業で結果を出せるようになったことです。例えば、営業活動の中で、どんなに絶望的に結果が出ていない中でも行動し、自分を振り返り、数をこなしていけば、いずれ結果が出るということを信じられるようになりました。

また、部下の心情を察知し、フォローをするという管理職として必要な能力を身につけることができました。多感な十代の頃の過酷な人生経験が、社会人になっても結果をもたらしてくれている。高校生の頃、寮で私を厳しく丁寧に指導してくださった先輩には本当に感謝しています。 

―――三日月さんの力の源泉は何でしょうか? 

承認欲求が私の力の源泉です。スポーツという競争社会に生きていたので、競争意識が強いです。競争に勝利して、1人でも多くの人から承認されたいと思っています。お金というよりも、競争の中で勝っていきたいという部分です。 

―――今どんなことを挑戦しようとしていますか?  

今は、営業部員の1人のプレイヤーとしてよりも、部下を売れさせるために頑張りたいです。部署としての売り上げトップが今の目標です。 

―――陸上競技部に選手兼社員として入社する方に一言をお願いします。 

今、陸上競技経験というもの、仕事をする中でも必ず役に立ちますので、全力で取り組んでください。入社し、もし営業職を選択されるなら、ぜひ一緒に働きましょう。お待ちしています。

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